KEY EARTH
混沌とした「Chaos」の英語読みの発音をもとに命名いたしました。いろんなものがごっちゃ混ぜになってる、そんなブログと私の人生をこんなネーミングにしてみました。
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糸魚川の火災と雁木
またとても長く間が空いてしまいました。今回筆をとるきっかけになったのは、故郷新潟(上越)の事件「糸魚川の大火事」です。
なぜかと言えば、私は大学で 地域研究という歴史民俗学的な学部におり、雁木を卒業研究の題材としていたからです。
その経験や、故郷あるいはそれに似た地方都市を想う気持ちがあって、この機会に全国の人に知ってほしいことがあるからです。

2016年12月、糸魚川で大火災と聞いてまず思い浮かんだのは「雁木」でした。当初火災ばかりで、なぜ燃えたかまで詳しくは報じられていませんでしたが、地元の人間にはすぐにピンときました。

新潟の住宅(店・工場を兼ねた住宅)の多くは、入口の間口が狭く、奥に広く細長い、珍しい形となっています。これが通称「ウナギの寝床」です。そして隣の家とぴったりとくっつき、通りに狭い間口(入口)を面しているのです。つまり道を歩けば、それぞれの家・店の入り口が軒並み連ねているのです。道に面しているのは住宅ならば玄関、商店なら売り場、工場なら作業場兼商談の場となっています。様々な生活の模様が歩きながら見て取れるのです。

雁木高田(Wikipedia より)


しかし、その道とは公の道路ではありません。それぞれの家の’’私有地’’なのです。 それぞれの家が、車道とは別に道を作るべく少しずつ後ろに下がることで、そのスペースを出し合うことで道となっているのです。更にその道の上は、それぞれの家によって庇が作られています。これこそが、「雁木」なのです。

これはもとはといえば、豪雪地帯に存在する「栄えた都市」の知恵なのです。数メートルも及ぶ雪によって冬の交通がマヒしないように、車道・公道とは別に雁木を歩道として冬でも歩けるようにしたのです。ともすれば、車道を横断して向かいの雁木通りに行けるように、雪のトンネルを掘ったと言います。車は走れないものの、軒を連ねた家の中にはスーパーに変わる商店などが存在したため、歩いて生活できる街だったと言えます。まさに雪国の伝統の知恵といえるでしょう。

雁木雪


雁木はそれぞれの家がつけているため、少しずつ形などが違うわけですが、互いに高さをそろえたりしています。そして多くは木造でした。財力のある家は、地面を石畳にしたりと工夫を凝らし、街全体の趣のある風景としても知られていきました。
木造であり隣近所と続いていれば、当然火事の心配は大昔からあるわけです。消防団などは必要不可欠な存在でありました。(どこの地域でも必要なのでしょうが、私の卒論でその特異性を示すまでにはいきませんでした。残念。)

今は積雪量の減少(良いことのようですが)や、道路交通・自動車の発展、普及 そして何より、雁木通りに連ねる家は職業と結びついてこそ間口を売り場や見せ場として利用していたので、その後継者の減少・転居により 衰退していきました。これまで雁木の中だけでも生活できていたものが、外に大きく広がっていったことで、雁木もただの庇がついた歩行路 あるいは街のシンボルと化していきました。それもやがては取り壊されて通りの一部分だけ雁木がなくなっていたり、改築してコンクリートに姿を変えていきました。伝統的な街並みとして町おこしの題材としても見られるも、街全体でなければなかなか効力を発揮しきれないように思います。

かなり大まかではありますが、雁木の概要をお伝えしてきました。私の卒業論文のフィールドワークとしていろんな方にお話を伺ったことで、この現実を立体感を帯びて説明できていたらいいなと思います。

さて、そこで雁木のこれから を担うのは誰なのか。火災で焼失してしまった糸魚川は今後どうなっていくのでしょうか。

これからの雁木の大きくかかわっていくのは、次の4つと言えます。ひとつは当然その所有者、住民です。つぎに、行政。それに付随して、町の振興を狙う文化振興団体 そして 建築学者 です。

雁木が街の景観として途切れないよう、もしくは隣近所に気を遣って雁木を維持しようとする住民の負担を減らすべく、一部の行政は雁木の新改設に費用援助をしているそうです。しかしそこに情緒豊かな景観を維持する策を講じていないのは見てすぐわかります。ただ庇があればいい、家(商店)とのつながりを失った雁木がぽつんと鉄筋コンクリートに変わって立っているだけです。

文化振興団体は、雁木の精神 というスローガンを掲げて古き良き景観を維持しようと、一部の古民家・町屋を拠点として活動しているようです。ここも私の卒論では十分に活動内容まで取り上げられなかったというか、何をしているのか正直わかりませんでした。当時の私の無知や世間知らずがあったせいもあります。町屋での集会におじゃましたのですが、温かい雰囲気はあったものの、雁木のこれからを議論するというよりは、回顧主義的な印象をうけました。昔はよかった、今は過疎化が進むばかり・・。嘆く気持ちもわかりますが、古い=素晴らしい だけでは現状をよくすることはできないと思うのです。雁木の精神 というのも、なんとなく「古いものを大事にしよう」と言っているだけで、理論的な考察や発想を感じることはできませんでした。単なる精神論で雁木は成り立ってはいないのです。 当時ここまで穿ってみることができなかったのは自分の社会に対する無知だったと反省しています。

雁木の調査をしているのは、主に建築学の方々でした。民俗的な調査資料も多少はありましたが、簡単な歴史・特徴を述べているにとどまりました。実際調査に入っているのも、新大の建築分野の方々で、道幅や屋根の高さを測ったり独立した「モノ」として扱っている印象でした。雁木を景観として維持・文化としてとらえるために、こうした方々が関わるのは当然のことなのですが、本来の雁木の意味に欠けると感じました。

社会の変化により、いまや雁木は家・商店とのかかわりを失っていると言えます。ではどのように雁木通りとして残っていくべきなのでしょうか。糸魚川で焼けた町はどのように再生すればいいのでしょうか。雁木を残さないという選択も当然ありますが、ここは 残す ことに未来を感じてみたいと思います。



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テーマ:歴史 - ジャンル:学問・文化・芸術

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