KEY EARTH
混沌とした「Chaos」の英語読みの発音をもとに命名いたしました。いろんなものがごっちゃ混ぜになってる、そんなブログと私の人生をこんなネーミングにしてみました。
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糸魚川の大火事2 雁木の再生
前の記事に示した通り、雁木はその所有する家・商店とつながって初めて、意味をなしてきます。私はここを強調します。ただ庇のついたアーケードならばお金さえあれば行政にも簡単に作ることができます。雁木通りと家は、まさにその家の玄関だけでなく窓の役割を果たしているのです。

糸魚川の大火事において死者が出なかったことが注目されています。これは隣近所との強いつながりがあったと思われます。あるいは、外の空間とのつながり(外で何が起こっているか状況が分かる)が強いからではないでしょうか。私はここにこそ雁木通りの特性があると思います。

玄関、あるいは店先をでればすぐに雁木通り、そして隣人の玄関もみえるのです。その玄関を通りから全く隔離してしまうような建築になっては、隣近所・雁木通りでつながる関係を破壊してしまうのです。例えばアパートの入り口も一列に並んでいますが、扉に個性はなく無機質で、互いのことを知りません。ただ庇や通りを保存・再生してもこのアパートのようになってしまいます。

アパートや新興住宅の場合、地縁はなく代々の信頼関係はありません。しかし地方都市で雁木通りのように昔から代々住んでいるところでは、互いの顔・親の顔、職業や家族構成もしったものです。そこに簡単でもあいさつや思いやりがあるのは容易に想像できると思います。隣近所の付き合いは面倒なところもあるかもしれませんが、ほどよい距離を保っているのが雁木通りの役目だと思うのです。

だからこそ火事などあれば声もかけやすいし、外の様子も感じやすい・・ 糸魚川の火災が大規模だったのは、雁木通りという木造の古い建築物が原因でもあり、死者がでなかったのも雁木通りのおかげともいえるのです。

とくに過疎化・高齢化が進む地方で、この雁木通りというシステムは適していると思います。過去に道幅を広げるために撤去されコンクリート化されたアーケードになった雁木は果たして成功と言えるのでしょうか。町の情緒あふれる景観として雁木だけを残せばそれでよいのでしょうか?はなはだ疑問です。建築学、行政の方々に期待するのは、地方における個人を孤立させないでほしいということです。糸魚川の復興にどうかこの考えを参考にしてほしいと思いました。
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